お知らせ

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月間アーカイブ:2020年8月

戦前の写真と現在の写真のジェネレーションギャップ

奉納写真を訪ねてこられる方がお孫さん等若い方が増えてきたので、戦前の写真を調べた。
〇戦前の奉納写真の時代は、カメラ・写真は専門家が使う高価で特別な贅沢品の時代
・戦前においては、一部の富裕層を除けば、カメラは写真屋・写真館か、報道関係者だけだった。
・一般の人にとって戦前の写真とは、写真屋さんに頼んで「よほど特別の機会の時に、撮ってもらう特別なもの」で写真の値段が高価で、本当に贅沢で特別な記念品だった。
〇写真フイルムが登場するまでガラス乾板で、明治20年代~昭和30年代まで70~80年間使られた
・ガラス乾板は無色透明の平らなガラス板の上に、写真感光材を塗布したもので、ゼラチン層の上に臭化銀の感光乳剤が塗布された。
・現像・プリントも暗室を使って手作業で行った。
・軍服や学生服の黒に多くの変色がみられる。定かではないが、感光材や現像処理の影響で、あとで化学変化が起きたのかも。
出典:「カメラのキタムラ」

更新日:2020-08-17 22:29

住所不明写真の公開(あ~く)

GHQ(連合国軍最高司令官)が終戦の年の1945年(昭和20年)に「神道指令」を出し、政教完全分離を目指し、神道行事を一切排除する内容になっていました。1949年(昭和49年)を境に適用条件は大幅に緩和されましたが、マッカーサーが帰る昭和28年まで神社に参拝することも自粛してる状態でした。
この状況下で、三坂神社にもGHQが来るとの知らせがあり(実際には2度来た)、奉納写真の名簿を焼却して、写真は隣の民家の納屋に隠しました。

昭和54年から写真の裏に書かれた氏名・住所から名簿起こしを始めましたが、住所不明の方が911名に及んでいます。
今回住所不明の写真を「あいうえお・・・」順に公開することにしました。お心当たりの方、そうでない方にもぜひ観ていただきたいと思います。
最初は「あ~く」です。

あ
い-1
い-1
い-2
い-2
い-3
い-3
う
え
お-1
お-1
お-2
お-2
か-1
か-1
か-2
か-2
き
く

更新日:2020-08-12 11:02

住所不明写真の公開(こ~に)

住所不明写真の続き、「こ~に」までです。

こ
さ
し
す
せ
そ
た-1
た-1
た-2
た-2
つ
て
と
な-1
な-1
な-2
な-2
に

更新日:2020-08-12 11:02
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