弾除け神社としての存在
はじまり
戦時中「日清・日露戦争の際、三坂神社に祈願して出征した氏子の兵士全員が生還した」と報道されたことから、武運長久祈願のみならず、弾除け神社として知られるようになった。出征軍人の家族らが写真を奉納し、当時全国各地から2万枚を超える写真が寄せられたという。
現在も写真の返還作業が続けられている。
現在も写真の返還作業が続けられている。
宮司の想い
「戦時中に、三坂神社に武運長久祈願のために奉納された、貴○○○○殿の御写真を是非、お返ししたいと存じます。御国の為に、応召出征され、身命を捧げられんとするを、その武運を願って奉納された肉親の真心と情愛のこもった、誠に貴重な写真です。
いろいろな思い出がにじんでくることでしょう。全部お返しして私の戦後が終わる思いであります。どうぞ御協力賜りますようお願いいたします。」
※佐伯宮司が1989年(平成元年)7月から、氏名・住所が判明した写真奉納者のところへ、写真返却を通知する往復書簡を出し始められた時の文面です。
これまでの活動
支那事変から大東亜戦争中
武運長久祈願のための参拝者数知れず。野尻防石鉄道岸見駅(現廃線)から社頭まで1キロの道を延々人並が続いた。1日の最高祈願者数は880人という。昭和19年7月7日サイパン島守備隊玉砕の日、参拝者の重みのためか、中殿の座がくずれ落ちると同時に境内の椎の大木が裂けた。
昭和21年6月
占領軍のMPの臨検を受けたが、参拝者名簿は事前に焼却。参拝者の写真(武運長久祈願)は送り返し、残りは隣家に隠して無事であった。現在約1万2千は地区別に整理し、関係書類と共に奉安所を設けて保管。
三坂神社武運長久祈願(実物)
昭和54年
神徳碑の下に埋納する予定で奉納写真の名簿を作成、13冊に及ぶ。
昭和55年奉納写真の整理
昭和55年2月18日
NHKのテレビ番組で全国放送され、参拝者が相次ぎ、多い日には1日30人の日もあった。この年889人の写真を返還する。福栄村の村長以下30人が参拝される。
武運長久祈願写真簿
昭和55年11月
式年大祭(1250年祭)斎行。神徳碑(揮毫 神奈川県亀田秋陽先生(野尻出身)・彫刻 枝光勇氏(中山地区)・築庭 竹本隆政氏(土井))を建立し、その下に武運長久祈願写真簿のコピーを埋納した。写真はこれまでに5295枚をお返しすることができた。
昭和57年
大阪のデパートで開催された戦争展で展示。
読売新聞に、写真に記されている氏名・住所(住所は当時のもの)が公開された。
昭和60年1月から
KRY山口放送「写真の中の日本人」などで紹介されて、更に全国的に知られることになった。
平成3年から平成9年まで
はがき作戦を展開する。電話帳と名簿の一致した人に往復はがきを送付する。
平成15年8月
中殿脇に武運長久祈願写真奉安所を設けた。地区別に収納し、以降毎年8月15日写真(みおがた)祭りを斎行する。NHK・KRY山口放送が県内放映。35人返還。
平成16年
「岩国市平和と戦争を考える展」(新婦人の会主催)に岩国関係の写真(複写)を展示。35人返還。その後平成23年に第2回を開催、34人返還。25年に同市役所に展示、8人返還。
平成17年8月
終戦60周年、奉納写真のことをNHK・KRY山口放送が放映。戦後60年経過しても尚写真探しの参拝者が全国からある。
平成21年、22年
福岡KBC全国放映。担当の方がインターネットで住所を調べ、26人返還。
平成23年7月
NHK中国地方放映、9月全国放映。10人返還。
平成26年、27年、29年
新日本婦人の会防府支部による「防府の戦争と平和展」が防府市アスピラートで開催され、防府市出身者の奉納写真を展示。KRY山口放送とケーブルテレビが放映。会場に来られ判明した方は累計34名。
平成27年8月
新日本婦人の会防府支部が防府市の出征兵士の奉納写真570枚を展示。山口新聞に掲載。
平成27年10月
山口新聞協力、戦後70年に合わせて山口市内「菜香亭」(天花1丁目)でコピーを展示。8人返還。
平成29年5月
KRY山口放送で特集番組放映。
平成29年8月
KRY山口放送で特集番組放映。「弾除け神社~奉納写真二万枚の思い~」
奉納写真
平成29年11月
防府市小野地区「ふれあい祭り」で奉納写真57枚を展示。31人判明し返還中。12月この時の様子をKRY山口放送で放映。
小野地区の奉納写真