三坂神社の護持運営に関しましては、平素より多くの皆様のご理解とご協力を賜りまして誠に有り難く、厚く御礼申し上げます。令和六年四月一日付をもちまして、三坂神社の宮司を拝命いたしました、江端希之(えばた・まれゆき)と申します。
一三〇〇年近くの歴史を刻む三坂神社は、古くは御坂宮(御坂神社)と申し上げ、「延喜式神名帳」や「東大寺正倉院文書」にも記載のある古社(延喜式内社)です。ご祭神の一柱に、黄泉比良坂を塞ぐ巨石である「道反大神」の名がみえるとおり、古代は「生と死の境界線を守る神」として崇敬を受けていたことが伺えます。中世以降は武運長久の「武運神」として有名になり、足利尊氏公、豊臣秀吉公、藩主・毛利家を初め、歴代の有名武将たちから厚い崇敬を受けました。
近代に入っては、「弾除け神社」として信仰を集め、北は北海道から南は沖縄まで、さらには朝鮮半島・満州・台湾からも、二万五千枚を超える出征軍人の奉納写真が納められました。終戦後に奉納写真の返還活動が開始され、これまでに一万一千枚をお返ししましたが、いまだ一万四千枚の写真が神社に残され、返還活動を継続しております。このように、古代から中世、そして近代・現代へと、時代に応じて人々の祈りを集めてきたのが当神社といえましょう。
そして未来に向けては、あらゆる災難を除ける「いのち」の守護神として、そして地域を護る氏神様として、三坂神社を永劫に守り伝えていかねばなりません。この職責の重さを自覚し、氏子・崇敬者の皆様にご教示いただき、学ばせていただきながら、御神威を畏み、祭祀の厳修に務め、御神徳の発揚のため、神明奉仕に精励する覚悟でございます。皆様のご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
令和六年七月一日付で、三坂神社は神社本庁の「過疎地域等神社活性化推進神社」(山口県下の神社一社が指定)に選定いただきました。今後六年間、神社本庁から支援いただきながら、様々な神社活性化施策に取り組んで参ります。令和七年正月には、名誉宮司である佐伯治典先生(先代宮司)への感謝の思いから、参集殿の大広間に「三坂神社・歴史館」を開館します。
令和十二年には、三坂神社は御鎮座から一三〇〇年を迎え、創建一三〇〇年式年大祭を斎行いたします。今後、一三〇〇年記念事業の実施のため、事業内容の検討や実行委員会の立ち上げなどの準備に取り掛かります。皆様のご理解とご協力のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
以上、少しお堅いご挨拶を申し上げましたが、皆様には、お気軽に社務所にお立ち寄り頂けましたら幸せます。(当面の間、土曜・日曜・祝日と毎月一日、年末年始および祭典期間中が、社務所の開所日となります。平日は不定期の開所となります。)皆様のお越しを、お待ちしております。